「子どもの世話にはなるつもりはない」と考える親は多いものです。
実際に2023年4月14日に内閣府が公表した『令和4年 高齢者の健康に関する調査結果』でも、65歳以上の男女の85.2%が将来の介護費用を「自分の資産からまかなう」と回答しています。
ただ、親の老後資金を考える際、金額以上に大切なのが、いざという時にその資産を「本人のために使える仕組み」を整えておくことです。
かつては黙認されがちだった「親のカードでのATM引き出し」は、現代では口座凍結を招く恐れのある大変危険な行為となっています。
経済メディアの編集記者で相続診断士の資格を持つ筆者自身も、家族の認知症介護を通じて親の資産管理に悩んだ経験があります。
認知症の人が増えるこんにち、この問題はどの家庭にとっても決して対岸の火事ではありません。
この記事では、親の財産を「正しくかつ安全に」介護費用へ充てるための事前対策をわかりやすく解説していきます。
認知症による口座凍結の落とし穴「介護費用が引き出せなくなる事例」
LIFULL介護が2026年6月18日に公表した調査結果によると、生涯に必要な介護費用は一人あたり約2300万円にのぼるという試算が出ています(自宅介護1年+有料老人ホーム5年の場合)。
8割超の親が「介護費用の支援を子から受けたくない」と考えている
一方で、同調査では「ご自身の介護費用を子から支援して欲しいと思いますか?」という問いに対し、「あまり思わない(38.2%)」と「全く思わない(46.1%)」を合わせ、8割を超える親世代が資金援助を望んでいない結果も明らかになりました。
多くの家庭で、親自身の資産を介護費用に充てることが想定されます。
しかし、親が認知症を発症すると、この「当たり前」が突然困難になる現実があります。その典型が、認知症の親の介護費用を捻出するために、子どもがキャッシュカードで現金を引き出そうとして失敗するケースです。
連日ATMで現金を引き出した結果「キャッシュカードが使用不可に」
例えば、老人ホームへの入居一時金として100万円が必要になったとします。
本人はすでに窓口での手続きが難しく、子どもが預かったカードでATMから引き出そうにも、1日の限度額は10万円に設定されていました。
そこで「毎日10万円ずつ引き出せば問題ない」と考え、連日ATMに通った結果、数日後にカードが利用停止になってしまったのです。
ATMの画面には『このカードはお取り扱いできません。恐れ入りますが、窓口にお問い合わせください』という非情なメッセージが表示され、慌てて銀行に事情を説明したところ、口座は完全にロックされ、お金を引き出すことができなくなってしまった――これは、実際に少なくないトラブルの事例です。
家族による代理引き出しはなぜ危険?金融機関が口座を凍結する仕組み
「親のためのお金なのだから」と、家族が本人に代わってキャッシュカードで現金を引き出すケースは少なくありません。
しかし、この行為には大きなリスクが潜んでいます。なぜ、連日のように現金を引き出す行為は問題なのでしょうか。
金融機関の監視システムが「異常取引」と判断するケース
短期間にわたる連続した引き出しや、限度額上限での出金が続くと、金融機関のシステムはそれを「異常な取引」として検知することがあります。
近年、高齢者を標的とした「特殊詐欺(オレオレ詐欺など)」や「マネーロンダリング」が社会問題化しているため、金融機関はAIなどを活用して厳格なモニタリングを実施しています。
事例のような行動は、まさに詐欺グループが被害者の口座から現金を引き出す手口と似ていたため、システムによって自動的にロックがかけられてしまったと考えられます。
一時的な利用停止から本格的な「口座凍結」へ移行する流れ
防犯目的の一時的なロックを解除するには、原則として「口座名義人本人」が来店し、意思確認を行う必要があります。
しかし、すでに認知症が進行している親を窓口に連れて行くことは困難です。仮に同行できたとしても、対応した職員が「ご本人に意思能力(判断能力)がない」と判断した場合、事態はさらに悪化しかねません。
その場合、一時的な利用停止ではなく、本人保護を目的とした法的な「口座凍結」へと移行してしまう可能性があるからです。
大前提としてキャッシュカードの貸与は契約違反
根本的な問題として、たとえ家族であっても名義人以外の人物がキャッシュカードを使用し、暗証番号を入力して現金を引き出す行為は、多くの金融機関で利用規定違反(契約違反)とされています。
「介護費用に充てるのだから問題ないはずだ」という主張は心情的には理解できます。しかし、金融機関側からすれば「そのお金が本当に本人のために使われるのか、他の親族との間でトラブルは起きないか、一部の家族による使い込みではないか」といった点を確認する術がありません。
そのため、本人以外の利用を厳格に禁止するルールが設けられているのです。
口座凍結後でも親の資産を介護費用に充てる2つの合法的な方法
では、事例のように完全に手詰まりになった場合や、親の認知症が進行して窓口での手続きが不可能になった場合、どうすれば「合法的に」親のお金を引き出せるのでしょうか。
こっそりATMで引き出すといったグレーな方法ではなく、正面から対応できる手段が存在します。
方法1:全国銀行協会の指針を活用した「特例的な引き出し」
どうしても本人の資金がすぐに必要な場合は、まず金融機関の窓口へ行き、事情を正直に相談してみましょう。
かつては「本人の意思確認ができない限り、一切引き出しは認めない」という対応が一般的でした。しかし、口座凍結が社会問題化する中で、2021年に全国銀行協会(全銀協)が新たな指針を公表しました。
この指針では、「本人の認知能力が低下していても、医療費や施設費など本人の利益になることが明確な使途であれば、親族からの引き出し請求に応じる」という考え方が示されています。
この特例を利用するには、口頭での説明だけでなく、「エビデンス(証拠)」を提示することが非常に重要です。
具体的には、以下のような書類を窓口へ持参します。
- 介護施設や病院からの請求書・見積書
- 本人の戸籍謄本や住民票(親族関係を証明する書類)
- 手続きに来た家族の身分証明書
これらの書類に基づき、金融機関が「間違いなく本人のための支払いである」と確認できれば、引き出しが許可されたり、金融機関から直接施設や病院へ振り込みを行ってくれたりする場合があります。
「こっそりATMで下ろす」のではなく、「請求書という証拠を持って窓口で相談する」ことが正しい対応といえます。
方法2:財産管理を法的に代理する「成年後見制度」の利用
特例的な引き出しは非常に有用な制度ですが、あくまで「金融機関ごとの個別判断」や「緊急時の例外的な対応」という側面に留まります。
継続的な生活費の引き出しや、介護費用を捻出するための実家売却、定期預金の解約といった、より大きな財産管理には対応できないことが多いのが実情です。
今後の財産管理を法的に万全な形で代理するためには、家庭裁判所に申し立てて「法定後見人」を選任してもらう「成年後見制度」の利用を検討する必要があります。
専門家(司法書士や弁護士など)が後見人に選ばれた場合、毎月の報酬(数万円程度)が継続的に発生するといった側面もあります。しかし、親の財産を1円単位で透明に管理し、不当な契約や親族間の金銭トラブルから法的に本人を守るための、最も確実で強力な制度です。
判断能力が低下する前に「家族で準備できる3つの対策」
事例のケースにおける最大の反省点は、「認知症の兆候が見え始め、状況が悪化してから慌てて対応した」という点にあります。
本人の意思能力がはっきりしなくなってからでは、前述したような手間やコストのかかる選択肢(特例引き出しの交渉や成年後見制度の申し立て)しか残されていないことがほとんどです。
しかし、親の意思能力がまだ明確なうち(元気なうち)であれば、より柔軟で家族の負担が少ない制度を活用できます。
対策1:家族信託(民事信託)
親が元気なうちに、財産の管理や処分に関する権限を、信頼できる家族(子など)に託す契約を結んでおく方法です。
この契約により、認知症発症後も、あらかじめ定めた目的に沿って、託された家族が自身の権限でスムーズに預金の引き出しや不動産の売却などを行えるようになります。
対策2:任意後見制度
任意後見制度とは?
将来、自分が認知症などで判断能力が低下した時に備え、あらかじめ自分自身の意思で「誰に」「どのような財産管理を」任せるかを公正証書によって定めておく制度です。
法定後見制度とは異なり、信頼できる家族などを後見人として指定しやすいという特徴があります。
任意後見制度の最新動向
これまで任意後見制度をスタートさせるには、家庭裁判所が選任する「任意後見監督人」を必ずつける必要がありました。
しかし、2026年6月24日に公布された民法等の改正により、裁判所が「監督人は不要」と認めたケースでは監督人なしで制度を利用できるようになるほか、利用をスタートするための申立てができる人の範囲が広がるなど、ご家族にとってより柔軟で使いやすい制度へと見直しが行われています(改正法は公布日から2年6カ月以内に施行予定)。
対策3:金融機関の代理人指名制度
近年、多くの金融機関が導入を進めているサービスです。
事前に窓口で家族を「代理人」として登録しておくことで、本人が認知症になった後でも、登録された家族が正式な手続きとして窓口で預金の引き出しなどを行えるようになります。
まとめ:グレーな常識を捨て、正しい知識で親の財産を守る
超高齢化社会を迎えた日本において、認知症が原因で高齢者の資産が引き出せなくなる「口座凍結」は、もはやどの家庭にも起こりうる身近なリスクといえます。
「家族なのだから、親のキャッシュカードを使ってATMで引き出せばいい」という考えは、世間一般に広まっているかもしれませんが、これは規定違反です。
最悪の場合、口座が完全にロックされてしまう危険な行為であることを認識しなくてはなりません。
いくら親の口座に十分な貯蓄があったとしても、引き出すことができなければ意味がありません。
介護が始まる段階で資金繰りに窮し、家族が共倒れになる悲劇を避けるためにも、親が元気なうちから財産管理について話し合いができると良いですね。
参考資料
早大卒。証券外務員二種・相続診断士。15年の書籍校閲で培ったファクトチェック力を武器に、一次資料に基づく「お金と暮らし」の分析記事を担当する編集記者。認知症介護経験をいかし、読者目線に立った情報発信も。
